sales_scientist_nakatani’s blog

「営業というアートを科学する」Sales Science Lab.代表 中谷真史のブログ。 慶應義塾大学経済学部卒。新卒にて入社した外資系製薬会社にてトップセールスを経験。 その後、総合系コンサルティングファーム、独立系セールス・マーケティング領域の経営コンサルティングファームを経て、 営業コンサルタントとして独立。SaaS系Sales×Technologyスタートアップにも勤務。https://sales-science-lab.github.io/

富山県への思い

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僕は東京都出身です。
新卒で入社した外資系の製薬会社で初任地が富山県となり、3年間富山県に住みました。
 
それまでの価値観は、「お金がほしい。女性にモテたい。」それくらいしかありませんでした。
渋谷や六本木の夜が大好きでした。(今も好きでなくなったわけではありませんが。)
キラキラした街で羽振り良く遊ぶ事だけが自分の中での成功像であり、それが幸せの形だと思っていました。
 
しかし富山県で3年間暮らし、その考えは180度変わりました。
 
夏には毎週のように自然の中でBBQをし、冬にも毎週のようにスノーボードへ行き、時には海釣り、渓流釣りを楽しみ、
ドライブをしては四季を感じ、美味しい魚と日本酒に舌鼓を打つ。
駅前に飲みに出れば飲み屋の店員さんたちと仲良くなり、地元の人たちとも仲良くなりました。
 
その土地に暮らしていることを実感でき、居心地がいい。
今まで育った環境とは、人との関わり方の違いも実感しました。
より人間らしい、背伸びをしない、ありのままの幸せの形を見つけられた気がします。
僕はそんな富山県が好きになりました。
 
しかし、大きな欠点にも気付きました。
 
①良いものがあるのに売り方やプロモーションのし方が下手すぎる。
②現状に満足し、向上心のない人が多い。
 
この二点です。
非常に"もったいない"と感じました。
 
今のままでいい、と感じる人にとっては余計なおせっかいかもしれません。
でも、"もっともっと幸せになってほしい。もっと自分の思う生き方を実現してほしい。"そう思います。
 
このような課題はおそらく、富山県に限った話ではなく日本全国の地方で起こっていることだと思います。
だからこそ、もっと日本の地方にスポットライトを当てたい。もっと地方から発信し、日本を良くしたい。と思っています。

営業職への思い

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コンサルタントという職を目指したものの、営業は大好きでしたし、今も大好きです。
今も、コンサルティングファームに勤めながらも、「どうしたらもっと営業職が繁栄するか」を考えています。
 
営業職は、良い実績を出せればもてはやされ、実績が出なければ責められる。そんな職種です。
では、よい実績を出せるような能力をつければいい。ただそれだけです。

ただし、あくまでも相対評価でしかないので、"自分に関わった人だけでも良い実績を出せるようになってほしい"と思うのです。
先の記事にも書いたとおり、営業職はビジネスの最前線です。会社の看板です。
 
しかし、日本における営業職は立場が低いと感じることが多いです。
欧米での営業マンは日本よりもっと誇り高く、人々から尊敬される職業のように思います。
 
ではなぜ、このような現状があるのか。
大きな理由の一つに、日本の就職の現状があると思います。
文系出身で特別なスキルを持たない学生は"とりあえず"営業からキャリアをスタートさせる。という流れが当たり前と化しています。
これでは当然憧れを持つ人は少なくなります。
 
また、昨今のAIブームの中で、営業職の大半がAIやロボットに置き換わられるのではないかという話もよく耳にします。
残念ながら営業職の総人口は減るでしょう。
しかし、その中で残った人間の価値はむしろ上がるのではないでしょうか。
 
「これがほしい」と顧客が自分で分かっているものを売るのは今後は人間の仕事ではなくなるでしょう。
しかし、営業マンの本当の価値は、「顧客の潜在的なニーズを本人に気付けせてあげる事」です。
その瞬間にこそ、人の気持ちが動きます。これはロボットにはできません。
 
そのような、"人間にしかできない、その人でなくてはできない"という仕事を作ること、代替できない能力をつけることが必要です。
 
だからこそ、僕は日本の営業マンをより良くすることに力を注ぎます。

トップセールスからコンサルタントになったわけ

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~コンサルに興味を持ったきっかけ~
僕は数年間かけてトップセールスになりましたが、次第に売り上げを立てられるようになってくると、仕事のし方が変わってきました。
"何をしたら売れるか"が分かってくると、"他人より楽をして他人より実績をあげられる"ようになってくるのです。

僕の場合、周りの人を動かすことが得意だったので、かなり自分の仕事を減らすことができるようになりました。
その分、本当に注力すべき顧客にリソースを割けるようになるのです。
しかし、仕事で少し楽をできるようになり、それは同時に自分を見つめ直す時間の増大にもつながりました。

次第に、「自分の成長曲線の角度が鈍った」と感じるようになってしまいました。
どうしたら良いのか分からず、必死に考えて仕事をしている時の方が成長しているように感じたのです。
すると今度は転職を考えるようになりました。

居心地の悪い環境の方が成長できる、と経験則で感じていたからです。
営業はできるようになったと感じていましたが、一方、内勤(バックオフィス系)スキルが皆無であることに気付いていました。

そこで、そのスキルを伸ばせる、一番ハードな環境はコンサルティングファームではないかと思い、興味を持つようになりました。

~迷い~
転職活動をし、無事に自分の望むファームから内定をいただくことはできました。
ただ、そこで給与面の問題が出てきました。

外資系の製薬会社は一般的な他の企業と比較すると給与水準が比較的高いです。
また、営業職では業績が良ければインセンティブも多くもらえます。
当然コンサル未経験の僕は転職する際、給与ダウンを覚悟しなければなりません。実際、総額100万円程ダウンしました。
 
営業がいくらできてもコンサルタントとしての能力とは無関係です。
コンサルタントとして大成しなければ転職しても、ただ辛い思いをして給与を落としただけ。となりかねません。
給与もプライドも捨て、また1からやり直す覚悟が必要でした。
 
これは賭けのようなものですが、一方で飛び込むメリットも感じていました。
それは「営業でトップセールスになったような人間はそう簡単にそのポジションを捨てない。だからライバルは少ない。」ということです。
 
自分が躊躇したように、お金とプライドを捨てて賭けに出られるトップセールスはなかなかいないと考えました。
No pain, no gain.です。
 
(営業コンサルタントを名乗る業者は多くありますが、そのほどんどは自分が営業で経験したことをもとにアドバイスするスタイルであり、大手コンサルティングファームの提供するコンサルティングとは違うものだと考えています。)
 
これは、自らの存在価値をニッチな市場で高めるという意味では、ランチェスター戦略式のキャリアの描き方かもしれません。

僕が育った営業マン時代の環境

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僕は新卒で外資系の製薬会社に入社しましたが、その後の道のりは平坦ではありませんでした。

①医学・薬学の知識ゼロでの入社
文系出身の自分には医学や薬学の知識は皆無で、認定試験の勉強をするといつも同期内90名中下位2割程度に入っていました。
結果的に、試験本番では上位2割程度の順位で合格はできましたが、これは理屈抜きにただひたすら暗記して乗り切りました。
 
無事に認定試験を突破しても医師を相手に薬剤知識で勝負するためにはかなりの時間を要しました。

②初任地配属にて全国47都道府県中、47位の営業所へ配属
配属面談にて「勤務地の希望はあるか」と聞かれました。
僕は「どうせ飛ばされるならとびっきり田舎の厳しい環境へ!」と伝えました。
すると、富山県(自社内都道府県別売上ランキング47位)への配属となりました。さすがに震えました。
 
外資系企業のメリットでもありデメリットでもあるかもしれませんが、成果でボーナスが大きく変動し、給料に直結します。
これにより、配属された土地にて自社製品の売り上げが良いか悪いかという運によってボーナスの額が変わるということがあります。

苦戦地域に配属されると、どんなに頑張ってもなかなか結果が出ずボーナスが出ない、給料が上がらない、といったことが起こりえます。勤務地格差が大きいのです。
この不公平感により辞める人も多く、負けている地域は人も根付かないので負のスパイラルに陥ります。結果、万年ビリ営業所が生まれるのです。

実際、僕の所属していた営業所ではインセンティブの支給額がゼロという先輩もいました。
 
このような中で育ってきたので、創意工夫のできる営業マンになれたのではないかと思います。

③「圧倒的」になることの難しさ
入社2年目の終盤に、ある製品の売上で全社上位3%程度に入ることがありました。
必死に頑張り、担当地区の歴史を塗り変えるような実績を出すことができました。実際、北陸地区では少し有名になることができました。
「実績の伸び率」では恐らく全国No.1だったのではないかと思います。
 
しかし、会社にはほとんど評価されませんでした。決算後のパーティにて表彰されることはありませんでした。

内心、「この人たちより自分の方がずっと凄い。自分の方が評価されるべきだ」と思っていました。
ただ、当然会社にとってはその実績を出すまでのプロセスは関係なく、数字のみが判断指標となります。

そこで「誰からも認められるNo.1にならなければ意味がない」ということを思い知りました。
 
祝賀ムードの明るいパーティの最中に一人、悔し泣きをし、上司と「絶対に来年は日本一になる」と固く約束したことは一生の思い出です。

上記3点のように、苦しい時期もありましたが何とか3年間でトップセールスになることができました。
僕は決して営業トークが抜群に上手なわけではありませんし、話が特別に面白かったり、ずば抜けて頭が良いわけでもありませんでした。
 
それでも年間約2000回もの商談を重ね、試行錯誤を繰り返していく中で気付き、ブラッシュアップしてきたノウハウや理論があります。
どんな人でも、考え方やちょっとした技術を持っているだけで営業成績は大きく変わります。

これを知らないのは営業マンにとって大きな損失なので、自分に関わった人だけでも"売り方のコツ"を知ってもらいたいです。
 
"売り方のコツ"を知ることで少しでも楽しく、幸せな営業マンライフを送っていただければという思いで営業をコンサルティングする仕事を目指すようになりました。
是非、営業に興味のある方は今後のブログを読んでいただければと思います。

僕が新卒で営業という仕事に就いたわけ

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僕は大学時代、ろくに授業へも出席せず体育会ソッカー部へ所属し練習に明け暮れていました。
小さいころから将来の夢はサッカー選手でした。大学では全国の強豪高校から有名選手が集まってくる中で、僕は大学時代に1度も公式戦に出られませんでした。
それどころか、4軍まであるチームでたったの1度も、1軍に上がることさえできませんでした。大学2年生くらいからか、「やっぱり自分はプロにはなれない」とわかっていました。

それでも、いままでやり続けてきた意地や、応援してきてくれた人の存在、そしてなによりサッカーを辞めてしまうと自分にはもう何も残らない、という恐怖感から4年生まで部活を続けました。
そんなモラトリアムも虚しく、遂に就職活動をする時がやってきました。目標も定まっておらず就職したい企業もありませんでした。

ただ、この時に思ったのが「皆と同じ人生は歩みたくない」、「サッカーで悔しい思いをしてきた分、ビジネスの世界でで唯一無二の存在になりたい」という事でした。
安直ですが、この2つの条件を満たすためには「経営者になるしかない」と思いました。この思いをきっかけに、僕の就職活動が始まりました。
 
就職活動の軸は「営業としてのスキルを磨ける環境」でした。ビジネスの最前線は、取引の発生する現場だと思ったからです。
そこで、不動産やメーカー、金融の営業を受け、いくつかの内定もいただけましたがその中でも外資系製薬会社の営業は異色でした。

①10件/日の商談がKPIとして課され、実際にその数の商談経験を積むことができるということ
→入社1年目からこれほど営業経験を積める環境は他にそうそうありませんでした。電話やインターホンで断り続けられる営業ではなく実際に商談の機会があることは魅力的でした。
②顧客がDr.であるということ
→医師は非常に賢い方ばかりな上、社会的地位も高く、粗相は許されません。
 また毎年何千人という患者さんを診察しているだけあり、洞察力が非常に鋭い方が多く、営業の顧客として非常にレベルが高いです。
③売れば売るだけ社会貢献になるということ
→単純に、モチベーションとして非常に重要です。
年功序列がないこと
→製薬会社の営業は9割以上の人間は定年まで営業職と言われています。
 本社勤務を目指す人は多いですが、このハードルはかなり高いです。

これにより、新卒~定年間近の社員までが皆フラットな環境で営業成績を競い、公正に評価されます。若手のレベルアップには素晴らしい環境です。
以上4点が大きな理由となり、製薬会社へ就職しました。

私は結果的に入社4年目までにトップセールスを経験することができたので退職しましたが、製薬会社での営業経験は非常に今でも役立っていますし自分の基礎を作ってもらったと思っておりますし実際、コンサルティングファームに転職した後にも「最初に製薬会社で営業をやっておいて良かった」と感じることは多々あります。
 
今でもかつての同期や同僚、上司と連絡を取ったり飲みに行ったりと、大事な仲間ですし、何より会社も仕事も大好きでした。
今後、営業職でプロフェッショナルを目指される方は製薬会社という道も選択肢の一つとしてはおすすめです。

Sales Scientist 中谷真史

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はじめまして、Sales Scientistの中谷真史です。
五反田のスタートアップで勤務する傍ら、
個人事業としてSales Science  Lab.を展開しております。
事業内容としてはセールスのコンサルティングで、
営業マン育成/営業戦略立案/営業組織構築、BPRの領域を得意としております。
 
私自身、営業畑の出身です。
不確実性が高く、労働集約型である"営業"という職種にこそ、仕事の面白みが多く詰まっているように思います。
このブログを読んでいただき、少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。
 
【略歴】
・卒大
 慶應義塾大学経済学部

・スポーツ
 体育会ソッカー部(慶應ではサッカーのことをソッカーと呼ぶ)
 
・職歴
 外資系製薬会社↓ 
 Sales×TechnologyのSaaSスタートアップ社員
 兼 セールスコンサルタント 
 
慶應義塾大学経済学部卒業後、新卒として外資系製薬会社へ入社。
全国最下位営業所に配属されるも入社3年~4年時に約1000人中、トップセールスを経験しその直後、総合系コンサルティングファームへ転職。

コンサルタントとして大手企業の新規事業立案、グローバル業務プロセス標準策定、業務プロセス改善、IT戦略実行支援のプロジェクトに携わる。
同期内最速にて昇格を果たし、自分の夢を叶えるべくセールスに強みを持つ
その後、営業のコンサルティングで出せる成果をよりスケーラブルにするため
Sales×TechnologyのスタートアップSaaS企業へJoin.
その傍ら、個人事業にて営業のコンサルティングを並行して行い、
現場の課題を収集しつつプロダクトへフィードバックする活動を実践。

「営業×コンサル×テクノロジー」をキーワードに、
日本の営業マンに幸せを自らの手で掴んでいただけるよう、
営業を科学しヒントをブログに綴る。
 
#セールスというアートをサイエンスする。